マララさんの平和賞は発展途上国の女子教育を後押しする・・・とは簡単には言えません。むしろこれで苦しむ人々が出ないことを祈るばかりです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141010-00000156-jij-eurp
その切なる願いを世界に発信した功績がマララ・ユスフザイさんのノーベル平和賞授賞につながった。ただ、世界的権威のある平和賞は伝統社会への欧米的価値観のさらなる流入とも受け止められ、イスラム教の保守的な思想の根強い故郷パキスタン北西部にさざ波を立てそうだ。
安倍首相と石破大臣が、憲法九条の平和賞受賞を「政治的」と言っていましたが。
ノーベル平和賞は、他の賞と異なり、実績よりも期待感重視、政治的色合いが濃いです。
2009年にはオバマ大統領が受賞しましたが、シリアやイスラム国での空爆を行い、期待を裏切りました。
2010年は中国の民主活動家劉暁波が受賞しましたが、中国の民主化は端緒にも着いていません。
2012年はEUが受賞。第二次世界大戦後の平和に多大な貢献を果たしましたが、受賞当時は加盟各国の債務問題で解体の危機にありました。この受賞は、応援という意味合いが濃かったです。
マララさんの主張は女子教育の普及です。
我々先進国にあっては当然のことですが、イスラム教国では進んでおらず、特にタリバンやイスラム国のような過激派の支配地域では抑圧が苛酷です。
それを打破するのは至難です。
マララさんの主張自体はとても納得がいきます。
福澤諭吉先生の「学問のすゝめ」にもありますが、古来の男尊女卑の風習は女性が勉強しなかったことにあります。させて貰えなかった理由は後述しますが、とにかく勉強しなくては男女同権にはならないのです。
その点、義務を果たさずに権利ばかり主張するフェミニストより遥かに健全な意見で、少女期にそれに気付いて主張する彼女は賞賛に値します。
しかし、男女同権には、とても重要な大前提があります。
それは社会が平和であることです。
身体的な力は古今東西、男性が女性より強いです。暴力が出てくる場面では、女性は勝てません。勉強しても暴力で覆されるなら、勉強も無意味です。だから古来、殆どの女性は勉強せずに黙って男性に従っていたのです。
平和な社会というのは、個々人が持つ自衛権や幸福追求権を、自然のままでは著しい不平等が生じるので、これを国家権力に預けて程々に平等に運用して貰い、強者にとってもメリットがデメリットを上回るので大人しく従うことを実現した社会です。
この前提があって初めて、女性は勉強して社会進出が可能になります。
彼女の故郷にはそれがありません。今は、パキスタン政府が特別に警戒に当たっていてタリバンも手を出せないようですが。
現在イギリスに住むマララさんや、その家族隣人までは良いです。安全に権利を主張できます。
しかしそんな特別扱いから漏れた大多数のパキスタン国民他、暴力に支配された地域の人達はどうでしょう。
同様の主張をしたら、武装組織に捕まって殺されるか売春宿に売られるか、酷い目に遭う恐れがあります。
マララさんの主張を取り下げさせるために多くの罪も無い人々が人質にされることだって十分あり得ます。自分が武装組織のリーダーだったらそうします。
記事にある、
「地域住民はマララさんを本当に歓迎しているのか。答えはノーだ」。「彼女が世界的注目を浴びたことで、かえって自分たちの生活がタリバンに脅かされると考えている」。地元記者はこう話した。
と言う話は、これを恐れているのです。
マララさんの高邁な理想を、どうしたら実現できるかは、本当に難しいです。
普通の若者がテロに走るのは仕事がないからです。産業を興して仕事を与えることはとても重要なことです。
その産業を興すには、そこが平和でなくてはなりません。
アメリカやイギリスが、この際中国でも良いから紛争地帯に軍隊を派遣して一元的に治安を管理してくれたら第一歩が始まるのですが。
大国同士が縄張り争いをしているようでは全然進みませんし、武器商人にとっては平和が商売敵です。
半歩ずつ進むには、各地の紛争地域を何とか停戦させて、PKOにおいて日本が産業の振興に貢献することでしょう。
50年後だったら、マララさんの理想は実現し、まさに平和賞に相応しい、となっているかもしれません。
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