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2014年2月 9日 (日)

「政治的に公平」って何だろうね

産経新聞と朝日新聞の「文通」は今までもよくあることです。しかし慰安婦問題を始め、そもそも報道機関の公正中立って何なのだろう、と考えさせられます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140208-00000554-san-soci

つまり、両番組とも朝日、毎日両紙の主張を事実上、そのまま放送しているわけで、これは「政治的公平」を義務づけた放送法に違反しているといえるのではないでしょうか。「政治的公平」を保つとすれば、政治的に意見が対立している問題を取り上げる場合は、意見の異なるコメンテーターを複数出演させるなどして、視聴者に対してさまざまな角度からの視点を提供すべきです。

「放送法」は、第4条に、以下のように規定しています。

第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
1.公安及び善良な風俗を害しないこと。
2.政治的に公平であること。
3.報道は事実をまげないですること。
4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

簡単に言って、放送局は公平に報道しなさい、と言っているわけです。

しかし、その「公平」とは誠に主観的なものです。

あるイシューに関して議論の分かれることなら、その両論を併記すれば公平は担保できます。

そして、最終的な現実解は両論の中間に存在することも少なくありません。

「医療は自己責任」と「医療は完全に平等に」という両論が存在し、実際にはどちらにも問題があり、現実解として「混合診療」を導入して妥協している、というのが医療業界の実例です。

しかし、数々の「論」の中でも、非常識なことまでは相手にすることは出来ません。

例えば原発問題では、「現存する原子炉は全て爆破する。これで解決。」なんて意見があったとします。誰だってこれは問題外として無視します。

そうしたら、現実的な論の中で中庸を選択するわけですが、無視しない範囲の中で議論して中庸を選択するとすれば、「無視しない範囲」に主観が反映されるのです。

それを延長して。

もしA新聞の主筆が、原子炉の投棄はもとより、1基たりとも再稼働するなど論外と考えていたとしたら、その新聞の政治的公平は、原子炉全爆破から原子炉全放置の範囲となるのです。

当然、原発推進から全廃までを考慮する某マスコミや自分とは、相容れないことになります。

慰安婦問題も同様です。

慰安婦は、そもそも存在を認めないところから日本軍が暴行虐殺までしたという論まで存在するし、別の観点として日本軍固有の問題か古今東西もちろん韓国にもあった問題か、という議論もあります。

A新聞は、日本軍の広義の強制性から日本軍の暴行虐殺までが現実論と考えているようです。

それは置いておいても、幅広いグラデーションの中で何が真実かを知ることは現実的には困難です。

現実として対応するには中庸でしょうか? それともあくまで持論を押し通すべきでしょうか? これは自分も分かりません。

自分の考えと、公共放送がどう放送するべきかは、違うかもしれません。

しかし大事なこととして、公平なんてマスコミ的に実に主観的なことだ、ということは覚えておいて下さい。

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