サラリーマン健保組合の問題について書こうと思ったら、雑誌記事アクセスランキングの方にもっと興味深い内容があったので、こちらについて書いてみます。サラリーマン健保組合の問題は、ちょっとどうしようもないもので・・・
息子がある日、いった。
「中学の理科の先生がね、『しっかり勉強しないと、大学に行けないわよ。そしたらアンタたち、一生、マクドナルドでハンバーグを焼き続けるか、スクールバスの運転手になるしかないんだからね』って、クラスの皆に説教したんだよ」
この引用以降、日本では違和感のあるこの発言も、アメリカでは普通に受け入れられているのだそうです。
友人が説明してくれた。「どんな仕事を得るかも、年収をいくら稼げるかも、本人の努力の結果、と考える国だからね。『一生涯、ファストフードの店員』なのは本人の責任であって、彼らを見下しても差別とは見なされないのよ。だいたい『職業に貴賤なし』なんて、アメリカじゃ誰も信じてないかも……」。
うーん、確かに、高卒より大卒、大卒より大学院卒のほうが年収が高いこの国の現実を「学位偏重社会」と批判する人なんて見たことないもんな~。努力し、自己投資した者が得る当然の結果ってことなんだろう。
思い出すと、自分が子供の頃、勉強をサボっていると、父から、
「こんなことでは一生すかいらーくの皿洗いだぞ」
と脅されました。
当時は皿洗いを馬鹿にするのかと憤慨したものですが、社会人になってみると理解は出来るようになりました。きっと資本主義の真理を突いた言葉だったのでしょう。
誰でも知っている福澤諭吉先生の「学問のすゝめ」ですが、「天は人の上に人を造らず、(以下略)」とは言うものの、現実には貧富貴賤の差が存在する。だから勉強し、一身さらには一国の独立を獲得しよう、というのが主旨です。
貴い仕事と賤しい仕事の区別は、よく考えると結構難しいです。
自分の医師の仕事だって、貴いと言われる方ですが、世間の風当たりは強いし、時代によっては賤業だったりもしました。
学問のすゝめでは、現場の人間よりも人を使う仕事の方が貴いと言っていますが、福島第一原発の吉田所長が菅直人よりも劣るとは思いません。
「学問のすゝめ」には、「活動家」に対する評価は書いてなかったような・・・
収入や動かせる人数は大きな指標だけど、どうもそれだけではないような気もします。
今の自分の考えですが、いわゆる賤業の人でも、誇りと向上心を持って仕事している人は、尊敬できると思っています。一見単純労働しかしていない人でも、「工夫と改善」で良い仕事をする人は素敵に見えます。
とは言え、職種によって「工夫と改善」の余地の大きさに違いがある気はするし、そういう精神を持っている人間ほど高い地位に昇りやすいというのも真実でしょう。
そんな中で、たまたま首相に「なっちゃった」人もいるわけで。その人が貴いかどうかは、その人の言動や実績によって判断されることになるのでしょうけど。
今の人が貴いと判断できる材料は、今のところありませんね。
よろしかったら応援クリックお願いします。
最近のコメント