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2010年10月28日 (木)

「屁理屈」について考えてみた

屁理屈が屁理屈と忌み嫌われる理由は、その理屈が利己的で姑息的(その場しのぎ)な立場において正しく、論破不可能だからである。

子供の宿題や好き嫌い、電車内での携帯通話、ホームレスの言い分、新入社員の権利主張、官房長官の発言、など多くの事柄が当てはまります。

それを論破出来ず、「屁理屈をこねやがって」と吐き捨てるのは、議論においては負け宣言と同じ事です。

なぜ論破出来ないのか。

良い大人は必ず「公共性」や「未来」を考えます。

しかしそれを理解しない者にとっては意味不明です。

「今の」「自分が」良ければそれで良いのです。

そんな人達に「他人の迷惑」や「将来のため」を説いても、

「そんなの関係ねえ」で終わりです。

下手に注意すれば、理不尽な暴力を受けるかも知れません。

自分の子供には、そんな大人になって欲しくないので、必要なら拳骨も使いますが。

他人に対してまでそうはいかないので、難しいところです。

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